「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と書いたのは川端康成だったが、その美しい表現のように長い雌伏の時を経た今、大きく、眩しいくらいに羽ばたこうとしているのがヴィヴァラリスだ。これまで、どちらかといえばネガティヴなコメントが多かったのは期待の裏返しといえよう。「当初から、馬体のバランスは良いけれども、精神的な部分も含め、成長曲線が緩やかな馬だなと感じていました。そのため調教と休養を織り交ぜながら、夏を過ぎたくらいに内地へ移動できるようにメニューを組み立ててきましたが、ようやく動ける体になってきたと思います」と吉澤ステーブルの鷲尾健一場長が話す。それを確かめるべく、8月中旬に浦河町の同ステーブルへと車を走らせた。
ご存じの通り、馬産地の朝は早い。近年は北海道といえども真夏日となることも珍しくなく、気温が上がる前に運動を終わらせるケースが増えてきた。すべては「馬ファースト」であり、それが馬産地のルールだ。朝6時45分、「そろそろ、馬装します」とスタッフに声をかけられて馬房へと向かう。正直、見るものを威圧するような存在感を放つ馬体ではないが、競走馬としての雰囲気を漂わせるようになった同馬がいた。
この日のメニューは、ダートコースで1800m前後と坂路1本というもので、おおむねハロン14秒から13秒程度を予定しているという。今回、調教パートナーを務めてくれるのは入社3年目の高橋欧祐さんだ。「実際に乗るのは久しぶりですが、春先に休ませたあと馬が変わってきたように思います。どんな馬でも、今くらいの時期になると、自分が求められていること、やらなければならないことを理解してくるので、今日はヴィヴァラリスをリラックスして走らせたい」という。速い時計が求められる追い切りを行うからこそ、馬が走ることに対してマイナスイメージを持たないように誘導する。それもまた、育成牧場にとって重要な仕事なのだ。
ケガを防止するため四肢にバンデージを巻いて鞍を置き、腹帯を締めると、まだあどけなさを残す表情に緊張感が走る。その一瞬で大人びた表情に変わったのが印象に残った。まずは牧場内にあるウッドチップの丸馬場でウォーミングアップ。ウォーク(常歩)からトロット(速歩)、そしてキャンター(駈歩)へ。しっかりとハミを取って走るフォームは力強い。ちょっと不運だったのは、1列前の馬がイライラしていたこともあって、それにつられるようにややテンションが高くなってしまったことか。周回の後半は、馬が少々力んで走っているようにも見えたが、それでも、高橋さんは動じることなく、優しく語りかけるように馬に合図を送り続けて「いつも通り」を演出する。それが功を奏したのか、場内を出て、BTC内の坂路へと向かう頃にはすっかり落ち着きを取り戻し、スタート地点で気持ちを再点火させた。
2頭併せのまま、ダッシュ良く加速する様子はモニターを通してしかチェックできないが、小気味の良いピッチ走法がうかがえた。最初の1ハロンは16.0秒だったが、そこからグンと加速して14.5秒、13.5秒でフィニッシュ。3ハロン44.0秒は、ほぼ予定どおりだ。「動けるようになってきたからなのか、負けず嫌いな一面が出てきました。スタート部分ではまだ少し緊張しながら走っていましたが、加速したあと並んだら、自分からハミをとって抜かせませんでした」と、ヴィヴァラリスの新しい一面を引き出した高橋さん。「体の使い方が上手な馬ですが、まだ幼い部分も残します。精神面が成長すれば、さらにもう一段上へとステップアップできるはずです」と、この日の印象を明るい表情で評してくれた。
追い切り後のチェックを終えた鷲尾場長は「まだ余裕がありましたし、馬房に戻った後もケロッとしていたように体力が備わってきました。まだ課題は残りますが、この馬なりに順調で、こちらのカリキュラムに応えてくれたことが嬉しい」と目を細めている。
ヴィヴァラリスは人気種牡馬のデクラレーションオブウォーの本邦4世代目産駒として、また母ペプチドリリー(その父ダイワメジャー)の第2仔として、2022年3月17日に浦河町の杵臼牧場で生まれた。丸みを帯びた顔つきなどは母の父ダイワメジャーの特徴がよく出ているようにも見えるが、やや脚長で、正方形っぽい体つきは父親ゆずり。深い胸はぎゅっと引き締まり、容量の大きな後躯と狂いのない骨格は、筋肉が生み出す推進力をロスなく全身へと伝え、平均以上のパワーとスピードを生み出してくれることだろう。「素軽い動きをする馬ですから、デクラレーションオブウォー産駒に多い芝向きのスピードタイプかもしれませんが、それだけではない可能性もあると思うので、今の段階で決めつけるようなことはしたくありません」と鷲尾場長が話す。
父デクラレーションオブウォーは、欧州の芝コースを主戦場とした米国産馬で、仏国でデビューし2歳時は2戦2勝。4歳春の英国ロイヤルアスコットでG1初制覇を成し遂げると、その後も欧州マイル路線で活躍した。その一方で距離や馬場に対する融通性も高く、インターナショナルSでは初めての10ハロン戦をあっさりとクリアし、現役最後の1戦はダート競馬の最高峰ブリーダーズカップクラシックに挑戦してあわやのシーンをつくり、ハナ+アタマ差の3着と健闘してダート適性の高さも示している。また種牡馬としても初年度産駒から仏2000ギニーのオルメド等を輩出して優秀性を示した。BCジュヴェナイルターフのファイアーアットウィル、メルボルンC優勝のヴァウアンドディクレアなど南北両半球でG1勝利産駒を送り出してトップサイアーの地位を築き上げている。日本でも、ファルコンS勝ち馬タマモブラックタイや札幌2歳S圧勝のセットアップ、あるいはホープフルS 2着、弥生賞2着トップナイフなどのほか、ユニコーンS 2着で現在は南関東のトップマイラーとして活躍するデュードヴァンなど、芝ダートどちらでもA級馬を送る現役屈指のユーティリティ・スタリオンだ。
一方、母ペプチドリリーはJRA 1勝馬ながら、2013年の京都新聞杯2着でダービー4着と豊かな資質を見せたペプチドアマゾンとは4分の3同血である。ダイワメジャー産駒らしく先行力も持ち合わせていたが、初勝利はやや出負け気味のスタートから最後は出走メンバー最速の上りタイムを記録してライバルたちを一蹴した。芝ダートの短距離で5勝を挙げた曾祖母ターキーレッドからハマナスIIにさかのぼる母系は、シャダイハマナスやシャダイダンサーなどスピードを武器に活躍して1980年代の社台ファームを支えたファミリーだ。
さて、取材当日に話を戻そう。「着々と(入厩に向けて)準備が整っているという印象です」と鷲尾場長が評する。もともと、動くこと、走ることは好きなタイプだけに自分の体力を顧みないようなところがあったようだが、体力が備わることでそれをクリアしつつある。「ヴィヴァラリスの長所でもあるスピードをレースで発揮できる下地が出来つつあります」と白い歯を見せた。
今後は実戦を想定し、BTCが誇る1周1600mのダートトラックコースやグラスコース、深い砂の800mダートトラックなど様々な施設を利用してバリエーションに富んだメニューを課していくそうだ。「今日の動きは最後まで余裕があったように、体のサイズは変わらなくても身が入ってきた印象です。入厩したときから、どのように成長していくのか注目していた馬ですが、ようやくこの馬が持っているスピードを発揮できるようになってきました。競馬でどんな位置からでもレースができるように、ここで色々な経験を積ませたい。実戦タイプの馬だと思いますので、楽しみにしてください」と、明るい表情で総括してくれた。そんな鷲尾場長をはじめとする関係者や出資者の期待に応えて、活躍してくれる日が楽しみでならない。